陶片日記
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夏の壺


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夏が来ると、カイロの路上のあちこちに、オッラ(qulla)と呼ばれる素焼きの壺が並ぶ。

中に入れられた水が、素焼きの肌を通して外に染み出して、その気化熱で中の水が冷却される仕組みになっている。日中、カイロの気温は50度を超えることもあるけれど、木陰に置かれたオッラの胴に触れてみると、ちょっと意外なほど冷たい。

染み出した水でオッラの素焼きの肌が赤く光る様子は、日本の風鈴の音にも似た、カイロの夏の風物詩である。



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木陰に置かれたオッラ。タイルのカケラで蓋をしてある。壺の首の内部は、この写真では見えないけれど、簡単なフィルター状になっている。

オッラの歴史はとても古くて、中世エジプトの年代記にも登場する。数百年前のオッラの陶片が、カイロ近郊の遺跡でいくつも発見されている。それらのオッラのフィルター部分には、精緻な透かし彫りが施されていて、非常に美しい(興味のある方はこちら をご覧になってください)。このフィルターが施された意味について、水をろ過する布の支えであるとか、単なる装飾である、などと解釈されている。だけど、昔のエジプトの人々が、外から見えない部分にこんなにも美しい細工を施したのは、単なる装飾というだけでは説明がつかないような気がする。(見せるためだけの装飾なら、壺の外側に施したほうがいいはずだから)



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(画像:MIHO MUSEUM ホームページより)


おそらく、人々がオッラの中に美しい透かし彫りを施したのは、彼らにとって冷たい水が何より美しくて尊いものだったからなんじゃないかと思う。昔は、上水道もないし、もちろんミネラルウォーターだって売っていない。飲料水は、夏のカイロでは何より貴重なものだったはずである。水を不思議な力で冷たく冷やしてくれるオッラは、身近だけれど、とても神秘的な壺だったんだろう。水を飲む人のためというより、貴重な水そのもののために、人々はオッラの中の水の出入り口を美しく飾ったんだろうな、と想像する。


7月の焼けるようなカイロの空気の中で、涼しげに輝くオッラを見て、そんなことを考える。




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荷車に積まれたオッラ。一個あたり、2ポンドもしくは3ポンドくらい(30~50円くらい)で売られている。数百年前のカイロでも、オッラは路上のいたるところに置かれていたから、値段も今と同じように安価だったんだろうと思う。


現在作られているオッラは、精緻な美しさなんてものとはちょっと遠いところにあるけれど、若干古いオッラ(正確なことは何もわからないけれど、数十年前くらい?エジプトでは、ものは完全に壊れるまで使うのが基本である)は、なかなか作りもしっかりしていて、結構気品がある。その手のオッラは、今でも路上で時々見ることが出来る(数は多くはない)。



先日、街を歩いていたら、路上に葡萄売りのおばあさんがいた。そのおばあさんの横に、たくさんのオッラが並べられているのをみて、思わず足を止めた、それらのうち、半分ほどは今出来のオッラだったけれど、残りの半分は違った。全体が黒かびに覆われていて、模様や肌の様子はさっぱり分からなかったけれど、形はすっきりとしていた。なかなか良い、年代物のオッラだ。


その手の古いオッラに出会うのは滅多にないことなので、どうしてもそのオッラを家に連れて帰りたくなってしまった。しかし、怪しげな東洋人がいきなりあらわれて、そこのオッラをよこせなんて言うのも意味不明すぎると思って、とりあえず挨拶がわりに葡萄を一キロ(3ポンド)買ってみる。

葡萄を袋に入れてもらいながら、そのついで、といった感じで(何気なさそうに)、このオッラの写真を撮ってもいいですかと聞くと、葡萄売りのおばあさんはニッコリ笑って、どうぞと言ってくれる。その時はカメラを持っていなかったので、携帯電話のカメラで何枚か写真を撮らせてもらう。おばあさんと、その孫といった風情の男の子は、オッラを珍しがっている私を珍しがって、にこにこしている。


携帯電話のカメラでは、どうにもいい写真が撮れなくて、もうこれは直訴するしかないと思った私は、おばあさんにこのオッラを売ってくれないか、と頼んでみる。おばあさんはニコっと笑って、ひとつ3ポンドだよ、という。

おばあさんは、比較的綺麗な(カビのあんまり生えていない)新しいオッラを私にくれようとするので、違う違う、こっちのほうが欲しいんです、と言って、カビだらけの真っ黒なオッラを選ぶ。ふたつで6ポンド。男の子が、にこにこしながらオッラを袋に入れてくれる。おばあさんも笑いながら、手を振って見送ってくれる。葡萄と一緒に、オッラたちを家に連れて帰る。重さも苦にならない。明日になれば、おばあさんはあの6ポンドで新しいオッラを二つ買って、また道端に並べるんだろうなと考える。(後日またその道を通ったら、そうなっていた)


家に帰ってまずやったことは、とにかくオッラたちをお風呂にいれて、分厚いカビやらコケやらを取り除いてやることだった。それをしないと、やはり部屋には置けない。たらいに水を張って、日本から持ってきた貴重なタワシを使って、徹底的に磨いてやった。オッラ一個あたり約1時間、二つで2時間ばかり磨いた結果、そのオッラが意外に素敵な装飾が施されていることが分かった。素焼きの肌に、白化粧土と櫛目で模様が描かれている。模様は簡素だけれど、素早い線が生きている。アラビア語で、「愛」なんて彫られていたりもする。赤い肌と、白い刷毛目模様の対比。うれしくなって、部屋の飾り棚に飾ってみる。


しかししばらく経つと、素焼きの肌は急激に乾燥して、先ほど水に浸って浮き出ていた模様は、たちまち白く色あせてしまった。濡れタオルで水を表面に含ませてみても、空気が乾燥しているせいか、たちまち乾いてしまう。


ふと思いついて、オッラの中にたっぷりと水を入れてみた、すると、5分ほどでオッラの胴体の下半分がしっとりと赤く染まってきた。水が染み出してきたのだ。白茶けていた肌が、水で優しく潤って、模様もはっきりと浮き出てきた。オッラの肌は、中に水が入っていないと、本当の姿を見せてはくれないのだ。内側から染み出す水に覆われて、はじめてオッラの肌は出来上がるんだな、と思った。

肌に触れてみると、路上にあるときと同じく、ひんやりと冷たかった。


ただ、水の入ったオッラは美しいけれど、つまり常に水が漏れ出している状態なので、長時間部屋に飾るのには無理があった。はじめの何日かはがんばって、下にビニールを敷いたりガラスを置いたりしてみたものの、あふれる水には追いつかず、オッラを置いていた飾り棚にカビを生やしてしまい、それ以降オッラを部屋に飾るのを断念してしまった。とても残念だったけれど。



路上で、オッラから染み出した水がアスファルトを黒く染めている様は、美しい。やっぱり、オッラは路上にある時が一番、美しいんだなと思う。それを考えると、葡萄売りのおばあさんからオッラを強奪してしまったことは、ちょっと罪なことだったかも知れない。


時々、我が家のオッラたちにも水を入れてみる。飾り棚は、オッラの居場所ではないことがもう分かっているので、床の片隅に置いたまま、たっぷりと水を入れる。しばらくすると、オッラがしっとりと冷たくなってくる。エアコンを消して、窓を開ける。カイロの夏が、私の部屋にもそっと訪れる。



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